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  「大唐玄奘三蔵大法師聖骨奉安所跡」について
 
 



山門横に立つ「大唐玄奘三蔵法師聖骨奉安所跡」の石柱
 
   
  玄奘三蔵法師

 

玄奘三蔵像
東京国立博物館より掲載
 
 
  玄奘三蔵法師といえば孫悟空たちと旅をする「西遊記」でおなじみであります。中国のお坊さまということは知っておられる方も多いと思いますがなぜ遺骨がと思われるのは当然のことです。
  三蔵法師は602年に中国河南省洛陽の近くにお生まれになり浄土寺の僧となって、さらに各地の寺院で修行されていましたが、一層の研鑚を目指してインドに行こうと決心。 629年国禁を犯して甘粛省から脱出し苦しい旅の末、中インドのマカダの学問寺ナーランダで修行を積まれました。

 その後、インド各地を巡歴のうえ、多数の仏典などを持ち、645年に唐朝廷に迎えられ長安に帰り着いたのであります。朝廷の命令と援助をうけて、「大唐西域記」を著し「大般若経」600巻以下、75部1335巻もの仏典を翻訳したほか、多くの人々をを教育されました。

     
    日本への経緯


    偉大な僧として尊敬され、 664年、63才で亡くなられ、長安の都に葬られていましたが、内乱などで処々に転々され、所在不明になっていたところ、昭和17年(1942)12月、日本軍南京守備隊が整地作業中に偶然に発掘しました。中国側は直ちに南京郊外玄武山上に荘厳雄大な聖骨塔を建立しました。その一部が日本に分譲されて玄奘法師にご縁のある埼玉県慈恩寺に納められたのです。
そこから同県名栗観音霊場、台湾仏教会、インドのナーランダ、岸和田市久米田寺境内靖霊殿、弘前市長松寺境内仏舎利塔に分譲され、納められました。この仏舎利塔へ納められる際に、青森県薬王院へ分譲されました。



   そして篠山へ


  
 
   
  その折、薬王院小田桐師が修行された三田市永沢寺において、当時住職であった上田祥山老師のもと、ともに修行した長楽寺八世松田慶山師に分譲が提案され、1960年、聖骨2粒を篠山に奉迎し、長楽寺に仮に安置していました。その後、1975年に松田慶山師らが発足された「三蔵法師奉讃会」によって、多くの人々の尽力により、沢田の小林寺さまに聖骨塔が建立され、安置されました。



※当時の資料をもとに作成しております。
 

         
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